くらげ記録

くらげ子の残しておきたい記録。家づくり、水草水槽づくり、妊婦生活など。

【成長まとめ】1ヶ月

親子でお風呂
1ヶ月健診で親子同じお風呂が解禁されたので、早速入ってみる。
お風呂はかなりの確率で泣く我が子。どうやら身ぐるみ剥がされるのが嫌らしい(オムツ替えも泣く)。
体を洗い始めた時は、この(-ω-)顔で耐えていた。
しかし、湯船に浸かると…静かになる。そして( ˘ω˘ )スヤァとなった。
羊水で浮かんでいたことを思い出してるのかな。そう思うと、湯船好きな赤ちゃんて多いのかもなぁ。

外へ出てみる
同じく外出も解禁になったので、外に出てみる。
7月上旬は猛暑だったので、真昼間はキツイ。夕方の外出に留めておく。
またこの(-ω-)顔。風に耐えてるようだ。眩しい時も(-ω-)こう。
これから少しずつ慣れていくだろう。
近所にはちびっ子が多く、近くの公園では小学生が遊んでいるし、周りのお宅は乳幼児が何人も。子どもが生まれたことで、ご近所との会話が弾むようにった。凄く仲良くなる必要はないけど、防犯防災の観点から、コミュニケーションをはかっておくことは必要だろう。子どものお陰だなぁ。

オムツのサイズアップ
オムツは新生児→S→M…とアップしていく。また同じ新生児サイズでもメーカーによって微妙に大きさが違う。私が使った所では、パンパース<メリーズ<ゲンキ!<グーンという感じ。(詳しい検証サイトとかありますよね)
この微妙さは侮れなくて、小柄な我が子はメリーズまではok、ゲンキ!からはオムツが大きすぎて体との隙間からお漏らしをしまくっていた。しかも、生後1〜2週間の頃だったので、お漏らしの原因がサイズの合わないオムツにあることもわからなかった(^ω^;)
しかし、小柄小柄と思っていた我が子も、ちゃんと成長していて、太ももに跡がついたり、おへそが見えたり、ウエストきつそうだったりしてきた。
いよいよサイズアップなんだなぁと、感慨深い気持ちになった。
思うのだが、いろいろもらえる試供品の中では、オムツが一番ありがたいなぁと思う。しかも2枚セットだとなお良い。我が子の尻に合ったものを選びたい。

お宮参り
地元の神社へ。安産祈願もココでお願いしたので、安産のご報告とお礼も兼ねて(御守りなどをお返しした)。
安産祈願は1月だったので、初詣の人でごった返してたのだが、今回は我が子のみ。我が家の貸切状態でご祈祷していただいた。
我が子よ、健やかに成長するんだぞ。

【成長まとめ】0ヶ月

病院では母子同室
産まれたてって、ホワホワとしてて、何だか弱々しい…
夜寝てる間に何かあったら…と怖くてなかなか眠れなかったし、夜も1〜2時間おきに泣いて授乳してたから、本当に眠らなくて寝不足だった。

スパルタ授乳訓練を受ける
母乳を飲ませるって、本当に難しい。
ひょいと赤ちゃんを胸に持っていけば吸えるのかと思ってたらとんでもない。これは産むまで全く想像もつかなかったこと。
吸いやすい形、吸わせ方(咥えさせる深さや角度)、母乳生産能力、赤ちゃんの吸引技能や体力、全てが合わさって母乳を飲ませられるのだ。
私は初めての体験だ、吸われて皮膚が痛くなるし、胸を柔らかくするため(その方がよいんだって)ぎゅうぎゅう押されるし、とにかく痛かった。
出なくても回数重ねないと余計出ないので、痛みをこらえながら何度も授乳した。
我が子は我が子で、お腹から出てきて相当体力使ってるのに、これ以上体力使わなきゃならんのか(生きるためには必要だけど)と、やはりへろへろになっていた。
我が子は、疲れるので舌をあまり使わずに吸いたいと思ったようだが、それではうまく吸えず、先が思いやられる。
新生児室の隣に授乳サロンがあり、お腹空いたと泣くたびにそこへ通って、何度も指導を受けた。
特に我が子は、舌を使わなければミルクを飲めないスパルタ訓練を受け、最初はエグエグ文句を言いながら飲んでいた。母も痛くて大変だったが、こちらも産まれて早々何でこんな大変なことを、と思っただろう。
しかし訓練を重ね、退院時は母子の息も合うようになり、普通に授乳が出来るようになった。

退院後は実家に里帰り
夫が出勤した後、新生児と2人きりで過ごすのはいささか不安があったので、実家に里帰りをすることにした。
実家の両親にとっては初孫だったし、いろいろ迷惑をかけたが、孫の存在については喜んだのではないかと思う。
母が出かけた時は叔母も駆けつけてくれて、本当に心強かった。
「何でこんなにうんちが緩いんだろ…下痢かな」
「お尻が赤い!かぶれたみたい」
「鼻が詰まって辛そうなんだけど」
全て杞憂というか、赤ちゃんによくあることで至って普通なことだったのだが、普通がわからない私にとって母や叔母がついていて教えてくれた。
我が子が抱っこを求めて泣いた時は、度々抱っこしてくれて本当に可愛がってもらった。

お父さんの役割
夫は兄弟や姪甥の世話をしてきたので、赤ちゃんの世話は慣れている。あやすのもうまいし、オムツ替えもスムーズだ。
里帰り後は、忙しい中だがなるべく早く帰って来てくれるようになり、我が子のお風呂担当になった。
赤ちゃんがいると、今まで出来ていた家事が出来ない。乾いた洗濯物は積み上がる。夕飯を昼過ぎから作り始めて、完成しない(泣かせっぱなしにすれば完成すると思うけど、それもね…)。
その分、夫が家事もしてくれている。作りかけの夕飯(大概味噌汁が作れない)を完成させてくれる。
結婚当初から家事分担はどちらかが多いということはなく半分半分でやっていたが、今は多くの家事を夫がしてくれている。夫に感謝している。
そっか、出来なくていいんだなーってわかってから、結構楽になった。

1ヶ月健診
先日1ヶ月健診を受け、母子共に健康、無事産婦人科を卒業することとなった。
我が子の体重は出生時から約1kg、退院時から約1.1kg増加した。
現在母乳中心の混合栄養で育てているが、最初は本当に母乳出ないし、子どもはエグエグ文句タラタラ口を動かしていた。それがスパルタ訓練を受けたお陰でここまできたので、非常に感慨深い。
今は粉ミルクが少なくなった代わりに授乳回数が激増(10〜20回/日)したが、しばらくそれに付き合うつもりだ。

出産まとめ

先日、子どもを出産しました。

出産のはじまり
出産予定日の8日前の朝、「おしるし」から始まった。

あっいよいよだ…

来るか来るかとドキドキしていた出産が、もうすぐそこまで来ている。
とは言え、おしるしから数日後の出産が多いみたいなので、「今日今すぐ」ってことはないなと思い、夫に

「多分数日のうちに産まれるよ」

とだけ言い、いつもの休日の朝ごはんであるホットケーキ作りから始めた。
しかし、気がつくとお腹の痛みが…
陣痛はしばしば重い生理痛と表現される。「生理痛なんて忘れちゃったから陣痛気がつくかしら」と以前から真面目に不安に思っていたが、痛ければ思い出すものだ。
これは生理痛…いやいや陣痛?

しかしまだ、あら痛い?位の痛みレベルだし、間隔が不規則。前駆陣痛ってこともあるし…と疑ってかかっていた。

しかし、おしるしが来た時点で、少なくとも来週には産まれてるかも。夫が魚関係のことで出かけたがっていたため、
「多分もう出かけられなくなるから、今日行って来なよ」
と夫を送り出す。

さて、私は入院の最終準備を始めよう。
入院バッグとお産バッグの中身を確認。

今度は家の中。
夫のために食材や消耗品の置き場所リストを書き出しておく。

そして米を炊きまくる。我が家は常にまとめ炊き。夫は家事に困らないが、働いて帰って来て、ご飯ぐらいあると楽だろうから。
お昼ごはんのためのおにぎりと、夕飯用、釜は5合だけど2回転、とりあえず1升分炊いた。

この痛みは陣痛…
昼ごはんを食べた頃、痛みが引かないので、念のため陣痛の間隔をカウントし始めた。最近はスマホの陣痛アプリで時間をはかれるから便利だ。ちなみに私は胎動もカウントできるたまひよのアプリを使っていた。

間隔は12分だったり、50分だったり、まちまちだった。
遠のいていくかな?とも思いながらカウントを続けたら、夕方、次第に規則的になってきた。

こりゃ、本物の陣痛かも…

夫に電話し、なるべく早く帰ってきてもらうよう伝える。
夜病院に行くことになるかもしれない、と急いで夕飯を作る。
陣痛間隔は10分になっていた。
夫の帰宅後、風呂に入り、急いで夕飯を食べ、病院に電話する。

私「あの、陣痛が10分切ったので電話したんですけど…」
病院「どれくらい前からですか?」
私「えと15分位前から…」
病院「あ、じゃあ陣痛がまだ始まったばかりですね」
私「え、お腹痛くて規則的になったのって夕方位からなんですけど」
病院「陣痛というのは10分切ってからを言うんですよ」

えっーーー!(本当なの⁉︎)

病院「間隔が5〜6分位に短くなるか、痛みがもっと強くなったらまた連絡してくださいね。痛みが遠のくこともあるから、様子をみてくださいね。」
私「あっはい…」

電話終了。
病院行くつもりだったのに、まだ来るなって言われた。腹いせに白米おかわりしてやけ食いしてしまった。

間隔は8分になったり、12分になったり、なかなか短くならない。しかし痛みは強く、痛みの時間が1分続くようになる。

今日は寝ようか。明日健診の日だから、その時に見てもらうことになるのかな。

そう思いながらベッドに入った。
しかしなかなか寝付けない。痛くて眠れない。相変わらず陣痛間隔は10分。12分に長くなることもあった。でももうダメだ。痛い。

もう一度電話をする。

私「あの、陣痛の間隔は短くならないんですけど、痛くて痛くてしょうがないんですけど…」
病院「うーん、その間隔だとまだ我慢できると思うんですけど…でも2回目の電話ですし、心配だと思うので、今から来てもいいですよ。」
「行きます行きますもう行きます」

待ちに待った入院
夜中の1時半。せっかく寝付いた夫を起こして、病院へ連れて行ってもらう。
1時50分、病院到着。

陣痛室に入り、機械を装着され、お腹の張りをモニターされる。

助産師「5分間隔で来てるみたいですね。」

本当ですか?とうとう来た?お産?てか家では10分間隔だったのに、一気に来たー!

助産師「モニターはナースステーションでも確認してますから、痛みが我慢出来なくなったらナースコールしてくださいね。」

助産師さんが去り、数回陣痛の波が来る。
我慢?我慢てどれくらいかわからないけど、かなり痛いから病院来たんだよ。ここに来て間もないけど、ナースコール押していい?
押すのを迷ったが、やはりナースコールする。

去ってからものの数分で助産師さんと再会。
助産師「子宮口5センチですね、動けなくなる前に分娩室行きましょうね」

いよいよ産む
ほっ、やっと痛みから解放されるのかなー?
2時20分、分娩室に入る。

立会い出産を希望したので、夫にも来てもらい、ドリンク係とうちわ係をお願いした。

子宮口が開くまではいきまないように、子宮口が開いたら出すためにいきむ!
単純だけど、子宮口が開かないから、お産が長くかかったりするのだ。
しかし、私は早かった(会陰切開はされたけど)

助産師「子宮口全開です、次からいきみましょう」

いざ、その時になってみるといきむのが辛かった。
この時、陣痛の痛みの種類は生理痛から排便痛(←これもよくある例え)に変わっていた。子どもが下がって来ている証拠だ。
排便痛は、本当に苦しいぞ。出したいのに、排便じゃないから出せないんだもの。
陣痛の一番痛い時に3回いきむというリズムだったが、1回目より2回目、2回目より3回目が辛い。力が入らない。
でも、辛いからって呼吸が乱れると、子どもに酸素が行かなくなる。
呼吸、呼吸、止めるところと吸うところ、痛いけど呼吸はしっかりしなくては、とそこだけは自分に言い聞かせていた。

助産師「上手上手!もう少しよ〜」

助産師さんは本当に褒め上手だ。褒めてくれるから、「これでいいんだ」とがんばれる。最後まで褒めてくれていた。
後で夫に聞いたら、私は泣き叫んだりすることなく、案外冷静だったようだ。
それもこれも、褒めてくれた助産師さんのおかげである。

そんなわけで3時52分、子どもは産まれた。
出てきてすぐ、子どもはわぁわぁ泣いた。小さくて赤いものが助産師さんの手で奥に運ばれて行くのが見えた。

「かわいい…!」

子どもの顔は見えないのに、すぐにその言葉が出た。

胎盤は4時過ぎに出た。初産なのに早かった。個人差はあれど、初産の場合は12時間位?
産前は特に体力づくりに励むことはなかったけど、子どもが早く出てくれたおかげで全く疲れはなかった(産後ハイもあったと思う)。

助産師「次(のお産)の時は、もっと早く来た方がいいですね〜」

いやいや、だから、最初に電話した時行きたかったのに!

という言葉は飲んだ。
計測などが終わった子どもが私の胸にやって来て、1時間程夫と3人で過ごした。

産んでからがスタート
深夜というか早朝の入院になったため、一睡もせず朝を迎えた。
病院の朝ごはんを食べ(この病院のごはんはいつも豪華で美味しかった!残したことない!)、朝9時には直接母乳を吸わせる授乳が始まった。お産からまだ5時間しか経ってないのに…!
今思えば、私も眠いし傷口が痛い、子どもも中から出てきて体力消耗してるので、授乳は互いに辛かったと思う。慣れないせいもあり、全くうまくいかなかった。

なんにせよ、子育てがスタートしたのだ。
授乳とおむつ替えと抱っこを、今に至るまで繰り返している。

【妊娠生活まとめ】妊娠後期の経過と反省

妊娠生活をまとめておかないと、第2子できた時困ると思い、覚えているうちにいっそいでまとめます。思い出話も含みます。

そうそう先日無事出産しました。

 

こちらのスタンスは、

  • 妊娠生活にはなるだけお金をかけたくない!(健康管理は別)
  • 妊娠発覚当時フルタイムで働いており、産休・育休取得後職場復帰予定

というところです。

 

1 妊娠生活振り返り

(1)妊娠8ヶ月 2015年3月下旬~

子宮頸管長が短め(今となっては本当に短かったのか謎)ということで、「散歩はしないでね」と日常生活と通勤以外は運動を禁止された。経過は順調、至って健康と思われていたため、寝耳に水だった。結構気落ちした。このことから、4月の新年度、新体制発足を機に、有給を使って早めのお休みに入った。

 

①足がつる

以前にも増して、寝起きに足がつった。毎日悶絶。そのまま午前中まで痛みを引きずったことも。

 

②長期休暇の戸惑い

午前中の時間がとにかく長い。結婚した時点で夫との家事分担ができており、自分の担当はさっくり終わる。

休暇に入る前は、運動がてらちょっと遠いパン屋さんへ歩いて行ってお昼を食べるんだ、とか、遠い図書館へ歩いて行って本を読んだり赤ちゃんの情報を集めよう、等と考えていた。平日のデパートめぐりもしてみたい、といろいろ楽しみだった。しかしまさかの散歩禁止令。早産になるのは避けたいので、大丈夫だから歩こう、とは思えなかった。

何をしたらいいかわからない。最初の1週間はとにかくぼんやり過ごした。

今では、お休みを最大限活かして、twitterに常駐しながら、のんびりと家の片づけ、庭の世話(雀の涙ほどだが食料生産くらいしようと)、魚の世話に精を出していた。この習慣のおかげですっかり運動不足になってしまったが。今現在、じゃがいもとトマトがわずかながら家計を助けている。

 

(2)妊娠9ヶ月 2015年4月下旬~

子宮頸管長の件は、もう一度検査し、「この位だったら15分位なら歩いていいかもしれないですね。ただ、37週までは無理して長い距離歩かなくてもいいんじゃないですか?」となった。休みながら、気晴らしにショッピングぐらいはしようと思えるようになった。

 

①夜眠れない、昼間眠い、胃が痛い、お腹の張り

お休みに入り歩かなくなったせいか、夜眠れなくなった。何度も起きたりする。そして昼間に眠くなる。やることもないから寝てもいいか、と思ってしまい(意志が弱い)昼寝する。

子どもが大きくなっているからか、胃が圧迫され、激痛が走る。食後のたうち回ることも多かった。

 

②両親(母親)学級への参加 

やっと日程が合い、両親学級へ参加した。参加者は、安定期の方とかが多かったかな…。ここで赤ちゃんの服や世話関係の準備するものについて、実際の作業をイメージしながら準備したので、もっと早く参加していればなぁ…と後悔した。

 

(3)臨月 2015年5月中旬~

①突き出たお腹

最終的に、ウエスト(って言っていいかわからないけど)95センチになった。お腹が重みが骨盤にかかっているのか?そこらへんの骨全て痛い。腰痛、恥骨痛、いろいろ痛くてしんどかった。

 

②出産後の準備

両親学級で得た知識をもとに、西松屋赤ちゃん本舗、ベビーザらすに行き、大物家具?や消耗品などの必要なものを買う。臨月のお腹で動き回るのは結構しんどく、早めに動くべきだったと反省。

 

2 妊娠後期にやっておけばよかったこと

(1)出産後に向けた準備

 出産後は、本当に動けない。体を休めなければいけないし、子どもは授乳・オムツ替え・抱っこ要求とひっつき虫のように年がら年中ひっついている。

子どもの準備と、母親の準備(体型戻しのインナー等)は、しっかりしておくべきだと痛感した。

これ、多くの妊婦さんは安定期からはじめてるみたいよね…私とりかかりがすごく遅くて反省。

 

(2)名前の検討

子どもの一生を左右するものだ。運命とかではなく、実際に遣うものだし。いじめの原因になったら困ると思うと、頭を悩ませた。結局出生後、両親を巻き込みながら決定した。候補を絞り込むくらいに練っておけばよかったと思った。

 

(3)肌の保湿

肌に赤い発疹がよくできた。腕、足、腹…至る所にできた。これも妊婦特有のマイナートラブルということであった。幸い軽い方(忍耐で我慢できるレベル)であったので「保湿を十分にして」と医師から受けたアドバイスに従い、とにかく保湿、また保湿でこれ以上ひどくならないように気をつけた。

 

3 準備するもの・こと

  • チャイルドシート等のクリーニング
  • 肌着、洋服関係
  • オムツ関係
  • 哺乳瓶・ミルク関係
  • 赤ちゃんの名前
  • 夫ひとりになる生活への引き継ぎ(食料のストックの内容と置き場所、生活消耗品の置き場所)
  • リフォームインナー

 

仕事が一段落し、休暇に入ったことで、精神的に非常に安定しました。イラっとすることがまったくなくなり、「きれいな心!赤ちゃんのために過ごせる幸せ…」などと、出産前のお花畑思考(出産後は忙しすぎてこんな風にはいかないと思う)を持つことができました。胎動を動画で撮ったのですが、出産後見返してみて、この子が腹に入っていたのか、と面白いような感慨深いようなで、撮っておいてよかったなぁと思いました。

【妊娠生活まとめ】安定期の経過と反省

妊娠生活をまとめておかないと、第2子できた時困ると思い、覚えているうちにいっそいでまとめます。思い出話も含みます。

こちらのスタンスは、

  • 妊娠生活にはなるだけお金をかけたくない!(健康管理は別)
  • 妊娠発覚当時フルタイムで働いており、産休・育休取得後職場復帰予定

というところです。

 

1 妊娠生活振り返り

(1)妊娠5ヶ月 2014年12月末~ 

安定期に入り、つわりがが落ち着いた。流産の可能性もぐっと低くなり、精神的にも安定した。

 

①戌の日のお参り

「5カ月目に入った初の戌の日に安産祈願をする」ということを、私は直前まで知らなかった。人から聞き「えっそうなの?」という感じ(もちろん夫も深く考えないタイプなので知らず)

信心深い私なので、お参りとかは大好き。早速5ヶ月目の戌の日を調べると…12月29日、年末…てっきり1月に入ってからだと思ってた!年末から夫婦互いの実家に帰ることにしていたので、これはやばい…。

しかも、安産祈願をうたっている場所がよい?とのこと、有名なところだと水天宮か…都内まで行く人もいるらしい。

結局、焦って行っても仕方ない、という話になり1月に入ってから、地元の神社に落ち着いて参拝に行った。やはり地元、これからもお世話になるだろうし。自分が厄年だったこともあり、安産祈願と併せて厄除けをお願いした。御朱印ももらい、自分的には満足した一日となった。

 

②胎動

朝の通勤途中、電車で座っている時、お腹がぴくぴくすることに気がついた。下腹で、瞼がけいれんするようなぴくぴくが起きるのである。ん?腸が動いているのとは違う(元々腹が弱いので腹には敏感)。痛みもない。自分由来のぴくぴくではない気がする…子か!子だよ!初めての子からのメッセージ…(大げさ)これが胎動なのだと感動した。

 

③食事と貧血

もともと貧血体質で、妊娠前から検査にひっかかり、鉄剤で治療をしていたことも複数回ある私。最近では健康診断の前に鉄サプリを飲んでギリギリクリアする等していたが、妊娠し血液検査でひっかかった。

豆腐・納豆等の大豆食品や、小松菜・ホウレンソウ等の野菜を毎日何かしら採っている、のだが…血をだくだく子に送っているため、間に合わないらしい。

結局3回の貧血検査、3回ともひっかかり鉄剤を飲んでいる。

 

(2)妊娠6ヶ月 2015年1月下旬~

 とにかく体重増加に怯えた。詳しくは下記参照。

 

①体重の急激な増加

 つわりがなくなったが「わぁ~やった食べられる!」となったわけではない。食欲も大して増えない。なのに、急激に体重が増えた。どんな風に増えたのかというと、

  • 妊娠前~5ヶ月目で+3kg
  • 6ヶ月目だけで+4kg (妊娠前~6ヶ月目で+7kg)

とんでもない話である。

…いや、食欲は増さないが、仕事のストレスはあった。来年度に向けあれやこれやと上司とバトルする時期である。イラっと来て、チョコレートや菓子パンをばぁっと食べていたことは認める(怒りが甘いもののやけ食いへ向かってしまうのは私の悪いところだ)。

しかし、この食べ方は年末も一緒なのだ。そして妊娠前も一緒なのだ。妊娠前はこれをやっても太らなかったし、妊娠してからは微増?だった。同じ生活を続けてなぜこの時期だけ過激に太る。本当に妊婦の代謝はわからない。

仕事では、午前中から午後にかけて外に出ることも多かったので、昼食としてお弁当を持参することは妊娠前も妊娠後もしていない。

しかし「外食はやばい」と思うようになり、おにぎりだけは持参し(もし出先で食べられなくても職場の冷蔵庫で保存可能だから)野菜中心の惣菜をスーパーやコンビニで買い、駐車場で食べるというさみしい生活をしばらく続けた(はたから見るとすごい妊婦)。

 

(3)妊娠7ヶ月 2015年2月下旬~

 できないことが、少しずつ増えてきた気がする。安定期だけども、妊娠期間を折り返して出産に向かっているんだな、という感じ。

 

①妊娠時のマイナートラブル

この頃から、腰痛、むくみ、足がつる、等の妊娠によって引き起こされる体の不調を一通り経験した。特に寝る姿勢から起きる姿勢へ変わる寝起きに、重力がばーんとかかり、けっこう悶絶していたものだ。

 

②車の運転

職業上毎日運転する。妊娠してからはその頻度が減ったが(先輩や上司が気を遣い運転してくれたりもww)、普通に運転していた。

が、ある時、バックしようと思って振り返ろうと思ったら、お腹ぴきーん!となった。筋肉が?筋が?固まってお腹をねじれない、振り返れないのでる。

「先週末運転して、今週まさかこうなるとは…」と駐車場で焦ったのを覚えている。

バックモニターもない車だし、もしあったとしても振り返らずバックは怖いので、その日を境に運転を控えることにした。事情を話して(引き継ぎということもあり)一人で行動することをやめた。

陣痛が来て自分の運転で病院へ向かう、という話も聞くし(いいかどうかは別として)、ずっと運転している妊婦さんはすごいと思う。

 

③近場への旅行

妊娠後期から出産後は旅行はしばらく行けない、ということで、大学時代の友人夫婦に会いつつ温泉に入る、という旅に夫と出た。

子育て真っ最中の友人のお宅にお邪魔したことが、今後の自分たちの生活を想像することができ、本当に良かった(いちごも最高においしかった!)。

1日目午後友人に会う→温泉、2日目午前付近のカフェ入り浸り、午後帰宅(夕方には自宅近くのスーパーで買い物してた位)という、もの凄くゆったり旅だったが、夫も私も凄く楽しかったまた行きたい、と今でも話している。

  

2 安定期にやっておけばよかったこと

(1)赤ちゃん情報誌・パンフレットのチェック

私は後期に入ってから読み始め、「えっ割引クーポンがついてるじゃないか」とか「サンプルがもらえるのか」とかお得な情報を若干逃した。情報収集の意味もあるが、クーポンやサンプルをフル活用するためには、早めにチェックしておいた方がいい。

それにしても、赤ちゃん用品はオムツ、ボディソープ等サンプルがもらえることが多く、普段自分の買い物ではあまりもらうことがないのでびっくりだった。

 

(2)赤ちゃん用品店の偵察

徒歩圏内に西松屋があり、車で赤ちゃん本舗やベビーザラスに行ける。品揃えや価格などでそれぞれに一長一短ある。

赤ちゃんの準備はまだ買うまでに至らなかったので、マタニティ用品を物色しながらでも見に行けば良かった(マタニティ用品はほとんど買う気がなかったので、まったく行かなかった)。

 

(3)マタニティヨガ等の実施

私は体が硬いので、出産を少しでも安産にするために、体を柔らかくしたい(これだけで安産になるとは限らないが)。通勤で毎日歩いていたが、ヨガまでいかなくとも、ストレッチぐらいは続けていればよかった(とはいえ、今回は寒い時期だったし、通勤だけで体力を消耗していたので、当時必要性を知っていてできたかと言えば微妙なところ)。

 

(4)両親(母親)学級への参加

7ヶ月目に行こうとは思っていたものの、年度末に重なり、仕事の都合でまったく行けなかった(結局8ヶ月目に行った)。遅くなればなるほど、あかちゃんの準備や心構えなどが遅くなる気がする。

 

3 準備するもの・こと

  • 鉄サプリ
  • ヘルシーおやつ
  • 骨盤ベルト?(マイナートラブル対策)

 

妊娠期間の中でも一番楽で身軽な時期です。出産後に向けてもっと活動しておけばよかった…。平日は仕事、休日は月2回の習い事からの~ショッピング、等妊娠前と変わらぬ生活をしていたことが悔やまれます。第1子だったので、出産後の生活について実感がわかなかったというのが正直なところです。

【妊娠生活まとめ】妊娠初期の経過と反省

妊娠生活をまとめておかないと、第2子できた時困ると思い、覚えているうちにいっそいでまとめます。思い出話も含みます。

こちらのスタンスは、

  • 妊娠生活にはなるだけお金をかけたくない!(健康管理は別)
  • 妊娠発覚当時フルタイムで働いており、産休・育休取得後職場復帰予定

というところです。

 

1 妊娠生活振り返り 

 (1)妊娠2ヶ月 2014年10月~ 

妊娠発覚。結婚生活も落ち着き、望んでいたのでとても嬉しかったのをよく覚えている。

 

①婦人科探し

現在の居住地は生まれ育った土地ではないため、病院をよく知らなかった。ウィメンズパークへ登録し、産婦人科探しを開始。口コミがよかった産婦人科に決める。改装して間もないらしく、とてもきれいで若い人が多く通院している産婦人科。(まだ出産していないので不明だけど)出産費用は高そう…と思いながら、通っている。

 
②初めての受診

6週6日で初めての受診。胎のうを確認。中にピクピクと動く鼓動も見え、心拍も確認できた。命の終わりは心臓が止まること、とは知っていたが、命の始まりも心臓から始まることが実感でき、なんだかじーんとした。

 

葉酸サプリの服用

初期の胎児の発育には葉酸が重要、と知りあわてて葉酸サプリを飲み始める。妊娠発覚時点ですでにカウントは2ヶ月目位(早くて)なので、本当は妊娠希望と同時に服用するのが望ましいようだ。

 

(2)妊娠3ヶ月 2014年11月上旬~

毎日のつわりに悶々とし、流産の不安と闘っていた日々。

つわりに対する夫の理解はあり、無理強いされることはなかったが、「(私に対する対応?気遣い?が)めんどくさいなー」とは思っていたらしい。しかし後に夫自身が風邪を引き、気持ち悪さを体験したことがきっかけで、「つわりきついね」と実感してもらえたので、私にとっては「そうでしょそうでしょ?」となりよかった。

 

①つわり

私の場合、常に「日本酒4合飲んだ次の日の朝」のような気持ち悪さ。吐き気は多少あるが、吐くことはなかった。実は嘔吐恐怖症なので、これはよかった。

だるさもあり、よく横になっていた。

匂いに敏感になり、ボディショップロクシタン等の良い匂いのクリームが一切受け付けなくなった。その中で唯一NIVEAはOKだった。よく言われている、米を炊くときの匂いや調理中の匂いがダメ、ということはなく、食事の用意は意外にできたし、まぁまぁ食べていた。

仕事に行けないほどつらい、ということもなく、普通に出勤していた。おそらく、軽い方なんだと思う。

 

②便秘

気持ち悪さから、食が細くなった(しかし痩せなかった)。食べる量が少なくなったため、もともと便秘体質(生後9カ月からの付き合い)だったが、さらにひどい便秘になり、酸化マグネシウムを処方される(以後出産まで飲み続ける)。

 

母子手帳の交付

1回目の受診で妊娠が確認されたので、病院からもらった妊娠確認証(?)を持って、母子手帳をもらいに行った。

 

④流産の不安

母体に原因がなくとも、受精時の遺伝的要因で、流産に至る場合が10~15%とのこと。医師には2回目の受診の際、流産の確立の話と「(妊娠の事実は)まだ旦那さんだけにとどめておいたほうがいいね」という話をされた。

妊娠検査薬で妊娠した!と思った人の6人に1人は悲しい思いをすることになる。医学が発達した現在でもこれはあらがえない要因なので、結構衝撃的に驚いた。

周りの人が当たり前に行っている(と思っていた)妊娠・出産は当たり前でないことを初めて知った。これを期に流産について調べ、不安な日々を過ごすことに。早く早く安定期に入りたいと願った。

 

⑤職場へ報告

職場の人事異動の調査が毎年11月に行われるため、安定期に入る前に上司にのみ報告した。しかし上司から噂が広まり(!)同僚にも知るところとなっていた。

もちろん、上司は私の体調を気遣っての配慮だった。しかし、既に30歳を超えた私は、できること・できないことぐらいは自ら説明しお願いする位のことはできるようになっていた(昔は少々無理しちゃう控えめだったけど!)。

ので、上司は別として、同僚には安定期に入った&仕事を整理した段階で、妊娠の報告と併せて、できることとお願いしたいことを伝えようと思っていた(し、その意向を上司に伝えていた)。

当時流産への不安を抱えていた私は、なぜ勝手に知らせてしまうのか(当たり前のように出産を迎えられるわけではないのに!)とデリカシーのない上司に怒りを感じていた。この気持ちは、無事に37週に入った今でも忘れることはできない。

 

(3)妊娠4ヶ月 2014年12月~

体型の変化が目に見えてわかるようになる。つわりの症状は残っているが、ずいぶん軽くなってきた頃でもある。

 

①服の変化

お腹が膨らみ始め、普通の服の中で着られないものがでてくる。

仕事では、普通のパンツが履けなくなり、服のローテーションを手持ちのユニクロのアンクルパンツに切り替えた。ウエストがゴムなのでなんとかなった。

プライベートでは、ワンピース率が高くなった。 

でもまだマタニティ用は買わなかった(今思えばパンツは買ってもよかった)。

 

②寒さでお腹が張る

通勤時の寒さがこたえ、歩いている時によくお腹が硬くなった。後に知ったことだが、この硬くなる感覚が、「お腹が張る」ということで、妊娠にとってはよくない兆候だった。腹巻を着用し、冷えないように注意したら、改善された。

 

③仕事の整理と引き継ぎ

つわりで外回りの仕事が少しきつかったので、事務仕事を多くした。私の場合、夏~秋だと外回りの仕事がはずせないが、冬だったのであまり外回りをしなくても済んだのがよかった。また、引き継ぐ後輩のためいろいろとまとめておくことの方が重要と判断してのこと。

 

2 妊娠初期にやっておけばよかったこと

(1)マタニティパンツ、マタニティ下着の早めの購入&着用(4か月くらいから)

マタニティパンツ(=ズボン)、マタニティ下着はその後必ず使うので、早くから買っても問題ない。

マタニティパンツは妊娠5ヶ月から、マタニティ下着に至っては9ヶ月から着用した私…もっと早く体を楽にしてあげた方が良かった。

 

(2)お腹が張らないように腹巻

腹巻はマタニティ用でなくても、伸び縮みする素材で苦しくなければ普通用でOK。

腰痛もあまりなかったため、マタニティ腹巻(腹帯)は買ったもののほとんど使わなかった。普段から使っていたしまむらの防寒用腹巻で十分だった。

 

(3)戌の日確認&お参りの準備

5ヶ月目に入る最初の戌の日をチェックしておくこと。私は焦って日程調整してお参りに行ったので(後述)、赤ん坊も周りもかわいそうだなーなんて思った。

 

3 準備するもの・こと

  • 葉酸サプリ 
  • マタニティパンツ
  • マタニティ下着(上については手持ちのユニクロのブラトップで乗り切れた、もしくは授乳用のものを買う。下は専用のものがいい)
  • 腹巻(冬場、手持ちのものでOK)
  • 匂いのないクリーム(体の保湿のため)
  • レトルト食品や加工食品(つわりがきつくて食事の準備が大変な時)
  • 戌の日の確認

 

今考えると、仕事をしながら妊娠を継続させていくことで精いっぱいだんたんだなぁと、しみじみする(こんな感じは8ヶ月まで続くww)。妊娠初期はとにかく「生活が苦しくないように」に徹することが一番な気がする。

 

家づくり(4) 終の棲家をどこにする?

あてになる土地はなし

夫の出身は他県、私は現在の住まいの県の出身だったけれど、兄弟がいる。職場の関係で他県に引っ越すことはできない。

自由でラッキー!かもしれないけど、お金かかるわ、探すの大変だわで、何かと苦労しました(特にお金ですね) 

 

土地の情報

「家を建てさせたい」とハウスメーカーの担当は思っているので、土地の情報をくれます。

楽して、自社で開発する分譲地の土地を勧めてくることも多いです。

ハウスメーカー提携している不動産会社が紹介してくれることもありました(その場合は仲介手数料が見積もりに入っていました)

とはいえ、探している情報は業務用の検索サイト(SUUMOとかじゃなく)にあがるので、契約前でもあったため複数のメーカーの担当にお願いして、情報はもらっていました。

 

既存の住宅地の空き地か、新規開発の分譲地か

最初は両方見て回りました。

当県は、田畑からの転用や工場跡地の再開発によるまとまった分譲地もあります。

そうなるとやっぱり、周りの人間関係が既にできあがっている場所よりも、新しくみんなが入って行くところの方がいいかなぁと思い、新規開発の分譲地に絞って探しました。

ただ、新しい人たちが一斉に建てるとなると、間取りが決まりづらい面もあります。

例えば、隣り合う家同士の窓の位置が重なってしまい、お互いに開かずの窓になるなど。

そこは、ハウスメーカーを通したやりとりで解決、でしょうか。我が家もお隣さんとハウスメーカーを通じてやりとりをした経緯がありました。

 

地盤に注意

当県は、他県より地盤が弱い土地が多いみたいです。

徳川幕府の大規模河川改修の影響や、海岸部など、埋め立てた土地も沢山あり、液状化が心配される土地が多く存在します。他にも、前出ですが、水田から宅地への転用も多く、実は沼のように深い田だった場所も結構あるのは知っていました。(そういうところに建売分譲で入って行く人が多くて、うわぁって思ってたのは事実ですごめんなさい)

べた基礎で、しかも杭を深く打てば打つほどお金がかかる。そしてそんな場所にいくら完璧な基礎を施しても、大きな地震があったらきっと傾いてしまう。これから大きい地震が来る確率は格段にあがるっていう話なのに!

そんなわけで、土地選びは慎重に行いました。

地元県出身を活かして、過去/現在稲作が盛んではない地域、台地の上、近くに河川はあるかどうか、などには気をつけていました。

 

絞り込んだら、通い詰めた

駅近の土地は値段が高い。安い土地は、狭いか形が変。当たり前だけど、つらい現実をつきつけられました。

結局、駅から少し離れた、ただしバスの本数が多くて何とかなりそうな場所に絞ることができました。

絞ったら、昼、夜、休日、平日と通い詰めました。バス停まで歩き、小学校まで偵察(侵入してはいません)、夜道の感じもチェック。病院もOK。

やっとやっと(といっても他の人より全然早いだろうけど)、私たちの終の棲家になる場所を決めました。